平成15年、朝日新聞や週刊文春などが火付け役となり、ワイドショーなども連日取り上げることとなった福岡殺人教師事件は覚えておいででしょうか?そうです。教え子に「死に方教えたろうか」と恫喝したという福岡市の公立高校の小学校教師の事件です。新聞、週刊誌、そしてワイドショーとかなりの取材合戦があったようです。しかし後の裁判で明らかになりますが、実際は、教師による「いじめ」という事実はありませんでした。その事件の経緯が書かれている「でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相―」を読んで、「食品偽装問題と似た報道の質の問題」そして、「優柔不断な対応からくる歴史問題」について考えました。
まず、「食品偽装問題と似た報道の質の問題」についてです。
最近、赤福などの賞味期限の偽装が話題になっております。そういう事件が話題になるたびに、業界ではあたりまえとなっている慣習でも、少し他社の後塵を拝しようが、法令、原理原則などを重んじていかなければいけないなと肝に銘じる次第です。とともに、少し前には雪印の事件などありつつ、なぜにこういった事件が無くならないのか、雪印の事件の際に、赤福の社長は何を考えていたのか、とても気になります。建築不動産業界でいいますと、数年前の歌舞伎町ビル火災では消防法違反の放置が問題になりました。また東横インの建築基準法のがれも問題になりました。(弊社の管理物件でもグレーっぽいももありますが、それらをうけ一歩一歩改善の方向で進めております。)
と同時に思うことは、赤福と同じような、まともな商品を売っていない会社がまだまだあると思います。この福岡殺人教師事件に関する報道がそうです。結果的に、両親側一方に立って報道していた報道機関は、ウソの垂れ流しとなっておりした。本書の著者は、少し聞き込みをすれば、それを防ぐことが出来たとしています。つまり結果的には、赤福と同じような報道偽装事件といってもいいのではないでしょうか。(もしくは、赤福は被害者が出ていないが、この報道では多くの被害者がいます。カリスマブロガーの木村剛氏も食品偽装問題については「私自身は、健康に悪影響がない限り、ここまで大袈裟に問題視しなくてもよいように思います。」としています。)報道機関ももう少し商品(記事)の質について責任を持つべきではないかと思います。
現在の報道は、特にわれわれが関心を持ちそうなネタについては、佐藤優氏の「国家の罠」でも明らかであるように、一方的な垂れ流し報道になっております。現在の前防衛事務次官の問題もそうです。守屋元次官も恐ろしく腐敗しており驚きましたが、真に国益に反しているのは、反守屋の情報を垂れ流し続ける山田洋行側である可能性もあります。しかしながら現在は守屋バッシングばかりとなっております。(これからマスコミは手のひらを返して、山田洋行側を断罪するかもしれませんが。)
なんてことを考えながら、報道にも質を求めたいなと思いました。
また、「優柔不断な対応からくる歴史問題」についても考えました。
この教師、校長先生、両親を、日本政府、親○派議員、某国に置き換えてみると、 なかったことでも認めてしまって丸く収めようとする。 謝罪しても受け入れない。 被害内容が徐々に大きくなる。 被害の主張ばかりで証拠がない。 などの面で似ているような気がしてきました。
ちなみに、この事件の裁判の第一審の判決を本書の著者は次のように表現しています。 >一方は『やった』と言い張り、もう一方は、『やってない』と否定しているから、中をとって『ちょっとやった』ことにしてしまえ
某問題に関し、元外交官の東郷氏は中間派だと明言しております。証拠がないが、事件はあったであろうという立場だったと思います。それで大変申し訳ないと。そうしないとアメリカの世論を押さえきれないのだそうです。つまりこの事件でいう「ちょっとやった」派。事なかれ主義の校長先生と同じですな。そうしないと教育委員会にも、報道機関にも認められないのでしょう。思わず「どっちの方向をむいとんねん。」とツッコミを入れたくなります。(教師、校長先生は生徒のことを考えなくてはいけないのに、モンスターペアレントや教育委員会の方をむいてしまっているのですね。)
そんなわけで「やってないことは、やってない」キッパリと否定した方がいいのではないかと思いました。
以下に本書の概要を記します。お時間のある方はお読み下さい。 [続きをよむ...]
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