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坂の上の雲 第七巻 貸し倉庫 埼玉 瀧田倉庫産業 社長のブログ!
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坂の上の雲 第七巻
いよいよラスト前。第七巻です。
この巻には戦略家がおかしそうなミスが多く出てきます。
机上の論理と実務との違いなど、勉強になります。

<あらすじ>
日本陸軍においても、奉天へ退却したクロパトキンにおいても、この時期に一大攻勢が計画されていた。そして、クロパトキンはまたしても臆病風に吹かれ、作戦を中止しようとしていた。
「『ロシア陸軍きっての秀才』といわれたかれは、陸軍士官学校のときも、陸軍大学校のときも、じつにうつくしい筆蹟で答案を書いた。この戦場にあっても、かれはつねに敵によって答案を書こうとせず、かれ自身を相手に答案を書こうとした。おそらく完璧な答案というのはそういうものであるであろう。」
そして日本の鴨緑江軍によって、奉天大会戦の火ぶたがきられた。
日本軍は陣地攻撃をするにあたってあいかわらず銃剣突撃をもっておこなった。
「(またあれをやるのだ)という兵士たちの絶望的な思いが、眼前のロシア軍陣地をもって『小旅順』ととなえしめたのであろう。日本軍の師団参謀たちの頭は開戦一年余ですでに老化し、作戦の『型』ができ、その戦闘形式はつねに『型』をくりかえすだけという運動律がうまれてしまっていた。『型』の犠牲はむろん兵士たちであった。」
「型といえば、元来、軍隊というのは型そのものであり、その戦闘についての思考は型そのものであった。ついでながら型をもっとも種類多く諳記している者が参謀官になるという習慣が、日露戦争後にうまれた。日露戦争の終了後、その戦訓を参考にして作戦関係の軍隊教科書が編まれ、陸軍大学校における作戦教育もそれが基調になった。その日露戦争の型をもって滑稽なことながら太平洋戦争までやってのけるという、他のどの分野でも考えられないほどの異常さが、軍隊社会においてはむしろそれが正統であった。『日本軍は奇妙な軍隊である。そのなかでももっとも愚かな者が参謀懸章を吊っている』と、太平洋戦争の末期、日本軍のインパール作戦を先制的にふせいでこれを壊滅させた英軍の参謀が語っているように、軍人というのは型のどれいであり、その型というのは、その軍隊と、それが所属する国家形態がともどもにほろび去るまでほろびない。」
日本軍の野砲はロシアの制式野砲とをくらべると新旧の違いが歴然としてあった。
「維新後わずか三十年で各国の水準並みの技術効果をあげたいという欲求は当然ながら真似になった。世界の最優秀の技術のサンプルをことごとくあつめ、その優劣を検討しつつ国産品を生み出すやりかたである。このやりかたは、無難でいい。しかしながらこのやりかたの致命的な欠陥は、独創で開発するばあいとちがい、その時点における水準を凌駕することができないことであった。ときには世界の水準よりも宿命的に遅れるということがあった。例えば三十一年式野砲の場合、「世界の優秀野砲」を買い入れたのが明治二十九年なのである。以後、検討と試作の期間が要る。このようにして誕生した三十一年式が陸軍の制式野砲になったのは明治三十二年で、そのころには独自の力で技術を開発している国々にあってはもう一歩も二歩も進んでいることになり、このやりかたが、その後の日本陸軍の技術の管理方法にながくひきつがれてほとんど体質化してしまった。」

「ロシア軍の敗因は、ただ一人の人間に起因している。クロパトキンの個性と能力である。
こういう現象は、古今にまれといっていい。国家であれ、大軍団であれ、また他の集団であれ、それらが大躓きに躓くときは、その遠因近因ともに複雑で、一人や二人の高級責任者の能力や失策に帰納されてしまうような単純なものではなく、無数の原因の足し算なり掛け算からその結果がうまれている。」
将師という者の世界では、かならずしも経験の古い者をもって貴しとするわけにはいかない。経験には悪しき経験と善き経験があり、そのことは古今の名将といわれる者の多くが、かならずしも百戦の経験者ではなく、むしろ素人にちかい経験のすくない者であることをおもえば、クロパトキンの経験の誇示がいかに無意味なものであるかがわかるであろう。
総司令部は、乃木軍司令部に対し、奉天後方の鉄道を遮断せよと命令した。乃木軍司令部は、総司令部の督促が激しいために、秋山好古の隊にやらせることにした。
「が、乃木軍としては、形だけをととのえねばならない。高級司令部の命令に対して、成功の見込みがないままに形式だけをととのえるという、日本軍がかつてそれをやったことがない悪しき事例がここにうまれた。」

「クロパトキンは、みずから幻覚をつくりだしてみずから踊る人であった。信じがたいことであったが、かれはこの夜(3月7日)、勝つ態勢のまま、第一軍と第三軍に対し、『渾河の線まで退却せよ』と命じたのである。日露戦争を通じての最大のなぞがこのときからはじまる」
「退却は当初、-鉄嶺まで。ということになっていたが、兵たちが鉄嶺についたころは退却という戦術行動中の部隊ではなくなり、敗走部隊になり、部隊という体もなさなくなっていた。」

日本軍は北進の構えをとったが、北進しなかった。出来なかったのである。
総司令官の大山をはじめ、薩摩には将器がおおい。
「薩摩には戦国からの伝統として大将になった場合の方法というものがあった。自分がいかに賢者であっても愚者の大らかさを演出演技するという一種魔術的な方法である。
「児玉が閉口しきっていることは、新聞が連戦連勝をたたえ、国民が奉天の大勝に酔い、国力がすでに尽きようとしているのも知らず、「ウラルを越えてロシアの帝都まで征くべし」
と調子のいいことをいっていることであり、さらに児玉がにがにがしく思っていることは政治家までがそういう大衆の気分に雷同していることであった。」
「しかしながら、日本は外交上の打つべき手をできるかぎり打ちつつあった。極東の孤島の上に国家をもったこの国が、そのながい歴史の上で、世界の外交界というものを相手に、舞台上であれ舞台裏であれ、活動をした最初のことであり、しかもその後これだけの努力を払った例は日本の外交史に出現していない。」
「日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。日本をめぐる国際環境や日本の国力などについて論ずることがまれにあっても、いちじるしく内省力を欠く論調になっていた。新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには太平洋戦争にまで日本を持ちこんでゆくことになり、さらには持ちこんでゆくための原体質を、この戦勝報道のなかで新聞自身がつくりあげ、しかも新聞は自体の体質変化にすこしも気づかなかった。」

ロジェストウェンスキーとその大艦隊は航路を東へ進んでいた。ネボガトフ率いるロシア第三艦隊とフランス領ベトナムのカムラン湾にて落ち合うことになった。
「ついでながらロシアの革命気分を醸した原因は無数にあるが、ロシアの市民が政府、具体的には官吏の能力に対して絶望的な不信感をもっていたこともそのひとつにあげられる。官吏の無能とそれへの民衆の不満というのは帝政ロシアのぬきがたい病根であった。軍隊の場合は士官の無能ということになり、これに生命をあずけねばならない兵卒としてはペテルブルグやモスクワの市民よりも不満は深刻であった。」
ロシアの幕僚の多くが第三艦隊は不必要であるとしていた。
「ところがペテルブルグの海軍省はまったく見解を異にしていた。『老朽でも戦艦は戦艦である。その巨砲は大いに威力を発揮するであろう』と、砲力のみを評価した。この見解には海軍に何の知識もないアレクサンドラ皇后がもっともつよい態度で賛成しており、従って皇帝もこの派遣を中止しようという意志はもっていなかった。皇帝の意志ひとつで全ロシアの運命が左右されるというロシア的専制の弊害が、この一件にも濃厚に露呈していた。」
ネボガトフ少将の軍隊統率はロシア陸海軍の将領のなかでも上乗のほうであった。
「かれの信条によると、生まれながらの兵士というものはありえず、兵士とは訓練によってのみつくられるものだとおもっていた。このためにこの航海中、たえず兵員の訓練をした。かれはそのながい艦隊勤務の経験によって、兵士には勇怯がなく、あるのは訓練による動作の型の堅弱のみであると信じていたし、されにかれによれば兵士というものはいかに厳格な訓練にも耐えうるものだが、かれらの士気をうしなわしめるものは兵士の心理に無理解な上官と、一種の軍隊悪ともいうべき諸種の悪習慣であるとおもっていた。」
ネボガトフ艦隊はロジェストウェンスキー艦隊と無事に合流することができた。
「日本艦隊とどう戦うかとか、日本艦隊の所在はどこかとか、あるいはもっとも重大なこととして今後どういう針路をとるかということも、ロジェストウェンスキーは言わなかった。要するに、黒い煙突を黄色くせよ、といわれただけであった。」
ロジェストウェンスキーはフェリケルザムにもネボガトフにも方針なり戦術なりのうちあわせを一度もしなかった。
「『司令官会議もなく、艦長会議もなかった』」
「しかし人間は-最高指揮官といえども-机の上の思想は論理的であろうとも、ぎりぎりの場にいたってなお理性をうしなわず論理に従ってみずからを動かすということは困難であるようだった。」

連合艦隊では、バルチック艦隊がどの進路をとってくるか、様々な意見が出ていた。
『それは対馬海峡よ』と、言いきった。東郷が、世界の戦史に不動の位置を占めるにいたるのはこの一言によってであるかもしれない。

マハンはロジェストウェンスキーの大航海については賞賛を惜しまなかったが、決戦前四日間においての誤りを指摘している。
「『かれは目的の単一性を欠いていた』」
「一行動が一目的のみをもたねば戦いには勝てないというのがマハンの戦略理論であった。」
「かれが水兵の人望を得ていないのは、粗暴で怒りっぽいということではなく、マカロフ中将のように有能で捨て身の精神をもった提督ではないということを水兵大衆がそのするどい嗅覚でかぎわけきっていたからであろう。戦場へひきだされてゆく水兵たちにとって自分の提督に期待するのは優しさでも愛嬌でもなく、ただひとつ有能であるということだった。

<コメント>
このような本当に綱渡りの戦争であったことに驚いています。また、人間の心理状態についての解説が多く、勉強になりますね。
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埼玉県越谷市を中心に、草加市、三郷市、八潮市、吉川市、さいたま市、岩槻区、川口市、春日部市など、埼玉県東部の貸し倉庫、貸工場、貸店舗など事業用不動産のテナント誘致、プロパティマネジメント(賃貸管理)、コンバージョン、バリューアップ、不動産仲介などを行っている埼玉の貸し倉庫 瀧田倉庫産業株式会社にて代表取締役を務めております。

所有資格:中小企業診断士、宅地建物取引主任者、ファイナンシャル・プランナーなど



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