坂の上の雲 第八巻
2007 / 03 / 29 ( Thu ) 最近は、三国志(吉川英治氏)を読み始めました。まさに群雄割拠。本当にすごい時代ですね。
ところで、坂の上の雲、ラストの8巻のまとめをしておりませんでした。遅くなりました。 <あらすじ> ←人気ブログランキングに参加しています!ぜひぜひクリックをお願いします!東郷の率いる連合艦隊は、日本海にてバルチック艦隊を待ち受けていた。 戦艦三笠に敵艦発見の連絡が入った。 「『敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス 本日天気晴朗ナレドモ波高シ』」 「『世界第一の海将』と著者がいう李舜臣は、豊臣秀吉の軍隊が朝鮮へ侵略したとき、海戦においてこれをあざやかに破った朝鮮の名将である。李舜臣は当時の朝鮮の文武の官吏のなかではほとんど唯一というべき清廉な人物で、その統御の才と言い、戦術能力と言い、あるいはその忠誠心と勇気においても、実在したことそのものが奇蹟とおもわれるほどの理想的軍人であった。英国のネルソン以前において海の名将というのは世界史上この李舜臣をのぞいてなく、この人物の存在は、朝鮮においてはその後ながく忘れられたが、かえって日本人の側に彼への尊敬心が継承され、明治期に海軍が創設されると、その業績と戦術が研究された。 「『東郷は若いころから運のついた男ですから』というのは、山本権兵衛が明治帝に対し、東郷を艦隊の総帥にえらんだ理由としてのべた言葉だが、名将ということの絶対の理由は、才能や統率能力以上に彼が的よりも幸運に恵まれるということであった。悲運の名将というのは論理的にあり得ない表現であり、名将はかならず幸運であらねばならなかった。」 「日本史をどのように解釈したり論じたりすることもできるが、ただ日本海を守ろうとするこの海戦において日本側がやぶれた場合の結果の想像ばかりは一種類しかないということだけはたしかであった。日本のその後もこんにちもこのようには存在しなかったであろうということである。」 「当然、日本国は降伏する。・・・・・・最小限に考えても対馬島と艦隊基地の佐世保はロシアの租借地になり、そして北海道全土と千島列島はロシア領になるであろうということは、この当時の国際政治の慣例からみてもきわめて高い確率をもっていた。」 5月27日午後1時39分旗艦三笠がバルチック艦隊を発見した。 「真之が、すぐ信号長へ合図した。四色の旗はやがて飄風のなかに舞いあがった。『皇国の興廃、此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ。』」 「『海戦に勝つ方法は』とのちに東郷は語っている。『適切な時機をつかんで猛攻を加えることである。その時機を判断する能力は経験によって得られるもので書物からは学ぶことができない』」 「東郷はかねて、『海戦というものは敵にあたえている被害がわからない。味方の被害ばかりわかるからいつも自分のほうが負けているような感じをうける。敵は味方以上に辛がっているのだ』というかれの経験からきた教訓を兵員にいたるまで徹底させていたから、この戦闘中、兵員たちのたれもがこの言葉を思い出しては自分の気をひきたてていた。」 「かれは自分の頭脳にのみ信頼をおいていた。しかしこの錯綜した戦闘場面での指揮においては頭脳が占める部分は寡少であった。それよりも勇気が行動を決定すべきであった。が、ロジェストウェンスキーに不足しているものはそれであったかもしれない。」 「『海戦の要諦は、砲弾を敵よりも多く命中させる以外にない』という平凡な主題を徹底させ、彼の戦略も戦術もこの一点に集中させたのである。いかなる国の海軍においてもこの時期の東郷ほどこれを徹底させた例はなかった。」 最初の30分で大局は決まった。 三笠の加藤参謀長は敵の旗艦スワロフの動きを見誤った。しかし、第二艦隊の旗艦出雲の佐藤参謀らが冷静に追跡した。 「その予感どおりにスワロフが北へ回頭しはじめたのである。加藤ほどの男が、この進行中の事実を冷静に観察するよりも、自分の予感のほうに判断を短絡させてしまった。」 「『君は参謀官だそうだから、心形刀流の極意を教えておこう』といって、剣の上での実例をいくつか挙げ、『剣にかぎらず物事には万策尽きて窮地においこまれることがある、そのときは瞬息に積極的行動に出よ、無茶でもなんでもいい、捨て身の行動に出るのである、これがわが流儀の極意である』といった。佐藤はこのことばをよく覚えていた。やがて彼の第二艦隊は第一艦隊の敵情誤認行動によって窮地に陥るのだが、このとき出雲の艦橋で佐藤の脳裏をかすめたのは伊庭が伝えたその極意であった。佐藤はとっさに無法にちかい積極行動をおこすことによって連合艦隊そのものを、あやうく敵艦隊を取り逃すところから救い出したのである。」 「連合艦隊という場からいえば無言でも機能するチームワークが存在したというべきかもしれなかった。あるいは、上村や佐藤などが海戦に勝つためのこつをよく心得ていたといえるかもしれない。ネルソンが、『もし旗艦の信号がみえなかった場合、後続する各艦は迷わずに敵へ突進せよ』と、たえずその艦長たちに言いきかせていたといわれるが、その勝者のための教訓の実例がみごとなほど上村艦隊の行動にあらわれている。」 「日本海という広大な洋上において、ロシア側の主将のロジェストウェンスキーとその幕僚がぜんぶ捕虜になった。」 『東郷に課せられている戦略方針は敵の一艦といえどもウラジオストックへやらないというところにあり、かれの指揮下にあるすべての艦艇はこの方針でうごいていた。水兵まで知っていた。もし艦艇のなかの仕官がことごとく戦死しても−そういう悲惨なケースはなかったがたとえ存在しても−その艦艇は操舵員や機関兵の手で鬱陵島付近まで運ばれてきたにちがいない。』 28日、連合艦隊は、ネボガトフ率いる第二艦隊を発見、包囲した。連合艦隊は敵艦に砲撃を開始したが、ネボガトフは降伏を決意し白旗をあげた。 「真之がその癖のある両眼を裂くようにして東郷をどなったのはこのときであった。『長官、武士の情けであります。発砲はやめてください』・・・ が、東郷は安保清種の観察によれば冷然としていた。真之の言葉に切りかえすように、『本当に降伏すッとなら』と、薩音でいった。『その艦を停止せにゃならん。げんに敵はまだ前進しちょるじゃないか。−』 これをもって日本海海戦は終了したといっていい。 満州での陸戦は依然として膠着していたが、バルチック艦隊が破れたことにより、ロシア側は戦争を継続する意志を失っていた。 イギリスの海軍研究家は次のように書いた。 「『この海戦は、白人優勢の時代がすでにおわったことについて歴史上の一新世紀を劃したというべきである。欧亜という相異なった人種のあいだに不平等が存在した時代は去った。将来は白色人種も黄色人種も同一の基盤に立たざるをえなくなるだろう』」 「元来、戦争とはそういうものであろう。戦争が遂行されるために消費されるぼう大な人力と生命、さらにそれがために投下される巨大な資本のわりには、その結果が勝敗いずれであるにせよ、一種のむなしさがつきまとう。『戦争というのは済んでしまえばつまらないものだ。軍人はそのつまらなさに堪えなければならい』という意味のことを、日本の将軍のなかでもっとも勇猛なひとりとされる第一軍司令官黒木為禎が、従軍武官の英国人ハミルトンに言った」 米国大統領セオドア・ルーズベルトの旗ふりにより、9月5日に米国のポーツマスで講和条約が調印された。 戦時編制である連合艦隊が解散をしたのは12月20日であった。東郷は連合艦隊解散の辞を読んだ。 「神明は、ただ平素の鍛錬に力め(つとめ)、戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄光を授くる。と同時に、一勝に満足して治平に安んずる者より、ただちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒を締めよ」 <コメント> この時代が今の日本の基礎となっていると同時に、太平洋戦争への端緒ともなっており、歴史というものは複雑であることを認識しました。 また司馬遼太郎さんの色々な見方、様々な価値観、とても勉強になりました。カッコイイ言葉も多く、メモしております。 上記のあらすじ以外にも8巻には面白い言葉がありました。 「武士道というのは身を殺して仁をなすものである。社会主義は平等を愛するというが,武士道は自分を犠牲にして人を助けるものであるから,社会主義より一段上である」 「『六分どおり運でしょう』と佐藤は言った。梨羽はうなずき、僕もそう思っている、しかしあとの四分は何だろう、と問いかさねた。佐藤は、『それも運でしょう』といった。梨羽は笑い出して、六分も運、四分も運ならみな運ではないか、というと佐藤は、前の六部は本当の運です、しかしあとの四分は人間の力で開いた運です、といった。』 「精神主義と規律主義は無能ものにとっては絶好の隠れ蓑である」 それでは(^^)/~~~
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